vol.2

marsmoo too vol.2 2015 May

Vol.2 女子高生はPOPの天才!
••• しのぶの世界
BEYOND COMMON
••• BEYOND COMMON
共感型フリーペーパー“marsmoo too”、興奮そのままに第2号!
蜂がきらいです。
••• ハピの屋根裏コラム
レッツゴー新聞 第40号(昭和60年5月24日)
••• レッツゴー新聞
夏至 by TCT
お父さん
••• ezure chan
TRUE PARTY 7/3 FRI @GNU
THE BEST from はる
Splice-design. 今月の珍作
Lights! Camera! Renovation! vol.2
オビの帯 - 行ってみたいとこBest3!
••• オビの帯
ガリレオガリレイの説いた地動説は僕のような人のことである(どこまでいってもまた戻ってくる)3年4組7番関健治
邦楽の夜 6/12 FRI @SONIC
DJ YUKI 福岡に行ってきました
COME ON! vol.2 Sumika Tanaka
••• COME ON !
PARTY information! 2015 - June

しのぶの世界

Vol.2 女子高生はPOPの天才!

Vol.2 女子高生はPOPの天才!

このところの高校生バンドの成長ぶりには目を見張る物があります。オリジナル思考も強く、レコーディングしてCD販売するバンドが増えてきています。そんな中、目立つのは、女子高生の作る曲のPOPさ!キャッチーなメロディー、今時のティーンズの乙女ごころをつづった歌詞、単純な言葉のリフレイン、年頃の乙女の感性にはハッとさせられることが多い。
男子ももちろんがんばってはいるのだが、いかんせんこの年頃の男子は、背伸びしてかっこつけることにばかりに目がいっていて、等身大の歌詞とか、ストレートな表現が出来ないことが多い。演奏的にも、難しい事をやることが、美学的なところもあって、こなしきれていない印象が強いかな。女の子は、もともと体がやわらかいので、基本である間接の力を抜いての演奏ができるので、リズムもいいし、出音もいい。
そもそも、アーティストとしてのミュージシャンには女の人の方が向いているきがするんだよね、そのままつづければいいアーティストになるな~って子を何人も見て来たけど、女の子は卒業するとほとんどやめてしまうよね。現実的だからそれで食って行こうとはおもわないんだろうね。
別に食ってく必要はないから、ライフワークとしてつづけていってくれればいいなとおもうんだよね。
そんな事をテーマにwebではもう少しほりさげた内容書くので、そちらも是非みてみてください。

BEYOND COMMON

共感型フリーペーパー“marsmoo too”、興奮そのままに第2号!

共感型フリーペーパー“marsmoo too”、興奮そのままに第2号!

松本市筑摩の、音楽スタジオ・デザイン事務所・水道屋からなるファクトリー
marsmoo studio(マーズモースタジオ)よりお届けしております。

めっきり暑くなりました最近、皆様体調くずしてなどいませんか?
これからの夏本番、エネルギーあふれる身体が遊びの資本です。
マーズモーでは毎週(だいたい)水曜日の夜、
“ヨガ部”なる集まりでアシュタンガヨガの練習にいそしんでいます。
先生に教わったシークエンスを、呼吸と動きを同調させながら各自のペースで進めていく1時間。
身体は暖まり頭は冴えて、と〜っても気持ちいいのです。
marsmooヨガクラス、jois us! こちら次号でもう少し詳しくご紹介いたします。

さて、もう6月。今年の夏もめいっぱい美味しいビールが飲みたい!
引き続き鼻呼吸を意識して、鼻息あらく、元気よく行ってみましょう。

ハピの屋根裏コラム

蜂がきらいです。

蜂がきらいです。

小さいころミツバチハッチにとっても感動した私ですが、それとこれとは関係なく嫌いです。というか、こわいです。
大スズメバチ駆除の鉄人のTVショーを見過ぎたのでしょうか、羽の音がするだけでアナフィラキシーショックになりそうです。

というわけで、春もいよいよ盛り上がってきました。
あまりの勢いに時おり夏っぽい一面まで見せてきます。好きなようにもて遊ばれながらも私はけっこう楽しいです。これだから四季くんはあなどれません。

筑摩の暮らしにもだんだん慣れてきた私ですが、近頃は「このへん散策」に興じています。なかなか面白スポットが多くて楽しいです。

今回はそのひとつ、千鹿頭神社についてちょこっと紹介します。なんて読むかはいまいち分かりかねますが、ずいぶん昔(延暦とか…)につくられたものらしいです。大きな池を横目にずんずん森の中を登っていくと辿り着けるスポットでして、神社あたりからは松本の町が一望できます。ナイスビューです。

眺めも格別ですが、私のお気に入りポイントは森の中を包み込む鳥・虫類などの奏でるアンビエントミュージックです。このまま自分も鳥・虫類の一員になって生き物兼ミュージシャンの人生を歩もうかと思うくらいです。

ちょっとした屋根のあるスペースでそんなグッドミュージックに酔いしれることができるわけなのですが、ひとつ大きな問題が。

先ほども述べました蜂のやろうが結構いるんです。私がノホホンとしてるとブーンと近くを飛んだりするのです。私はとっさに身をかがめたり、バレないようにその場を離れたりしなければいけません。いともどかしい。

ちょっと話はかわりますが、ヤンキーもけっこう苦手です。筑摩のあたりは道が広々としていて気持ち良いのかもしれません、よく改造バイクたちがブーンと大きな音を出しながら走っていきます。これがなんともけたたましい。

ついつい嫌だなぁと思ってしまうのですが、どうやら話によると彼らは目立ちたいからあのような行動をしているらしく、こちらが気を向けてしまえば彼らの思うつぼというわけです。

そのことに気づいた私は、すかさずヤンキーについて何も思わないようにしました。よしよしこれでいいぞ。

そして、ここにひとつの道が見えてくるわけです。
ブンブンうるさいモノに対して過度に感情を動かしてはいけない。静かなこころで相対することが大事なのです。さすれば私の平穏な生活が戻ってくるのです。ふむふむ。

みなさんも静かなこころで良き春をお過ごし下さい。

Bee Cool!

レッツゴー新聞

レッツゴー新聞 第40号(昭和60年5月24日)

theFUkazawas

ここは松本市中央1丁目。

深澤家が毎週金曜に発行する「レッツゴー新聞」
それぞれの日々をつづる、第40号(昭和60年5月24日)

1984年 「できるかな」大好きの妹が突然「新聞を出す!」と言った。やさしい家族はみなそれに付き合って、「レッツゴー新聞」(A2サイズ)が創刊された。それは、駅から徒歩1分、来客が多い深澤家の居間、一番目立つ場所に貼られた。元祖スパルタ鬼嫁だった母の「続けなくては意味が無い!」という強く固い意志によって、「レッツゴー新聞」は家族それぞれの心情、葛藤すべてだだ漏れのままに、1989年235号まで、毎週金曜に発行され続けた。

妹 7歳/兄 14歳/姉 17歳 
母 43歳/父 46歳/ババ 69歳/ゴー(猫)?歳

夏至 by TCT

お父さん

TRUE PARTY 7/3 FRI @GNU

THE BEST from はる

Splice-design. 今月の珍作

Lights! Camera! Renovation! vol.2

オビの帯 - 行ってみたいとこBest3!

ガリレオガリレイの説いた地動説は僕のような人のことである(どこまでいってもまた戻ってくる)3年4組7番関健治

邦楽の夜 6/12 FRI @SONIC

DJ YUKI 福岡に行ってきました

COME ON !

COME ON! vol.2 Sumika Tanaka

vol.2 Sumika Tanaka

marsmoo創刊号の中でも特に反響の大きかったこのコーナー。普段直接は聞けないような、パイセン女子の音楽ルーツにやはり皆さん興味津々なようで…第2回目は、前回の二木みきさんからご指名いただきました、Sumikaさん!松本・伊那を中心にDJとしてご活躍するSumikaさんの音楽ヒストリーをお伺いしました。

— 地元 伊那での小・中・高時代のお話から訊ければと…伊那でいつどんな出会いがあって、どうやって音楽に出会ったのか、気になります。

子供の頃からピアノを習っていたり金管バンドでスネアドラムをやっていたり、音楽は身近なものでした。小学校6年生の時に放送委員長になって、いつも学校で流れてた放送の曲を全部わたしが変えてみました。掃除の曲を「木星」に変えたりとか。

— ディスクジョッキーの始まりだ!いいエピですね、すごいお洒落。

中学校の頃は洋楽が大好きだったんだけど、当時LUNA SEAとかGLAYが流行っていて、まわりで洋楽を聴く子があんまりいませんでした。その頃は今みたいにインターネットが普及してなかったから、洋楽の情報はMTVかラジオか雑誌からでしか得られなかったのね。だから私の場合は毎週金曜の夜中3時頃にやってたラジオ番組〈COUNTDOWN UK〉をいつもラジカセで録音してました。ラジカセのタイマーが信用できず、3時に目覚ましで起きて、ガチャって録音ボタンを押して寝て、朝起きてそれを聴く、みたいなことを毎週してました。3時に起きれず録音できなかったときは一週間がっかりみたいな…。録ったのを無理矢理友達に聴かせたりとかしてました。英語は子供の頃から好きで、中3のときカナダへホームステイしたこともありました。その頃に好きで、今でも聴いてるのはJazzボーカリストのHolly Cole。他にもQueenのアルバム「世界に捧ぐ」とか、Mariah Careyの「Emotions」、Des’reeの「I ain’t movin」なども聴いてました。

— 高校のころはどんな風に過ごしていましたか?
英語が好きだったのでEnglish同好会の部長をしてました。英語のスピーチコンテストにも出て、入賞したのでオランダに3週間行きました。オランダでは同じようにホームステイをしに来たいろんな国の子供たちが集まる合宿に参加しました。そこにいたイスラエル人の男の子が好きでした。笑 たった3週間で。笑 オランダではErykah BaduのCDを買ったり。Des’reeの「Life」が流行っててみんなで大合唱したりしてたな、そういえば。初クラブもオランダで、その頃はユーロが流行ってました。Bengaboysの「We like to party!」が大盛り上がりでしたよ、当時からブラックミュージックが好きだったからちょっと期待はずれでしたけどね。その頃の思い出の曲はKeith Sweatの「Nobody」で、オランダにもCDを持って行ったくらい好きでした。あとは勿論TLCですね。LL Cool JとかMobb Deepとかも聴いてました。

— そして大学生に。
大学は神奈川だったんだけど、ある日友達を誘って渋谷の《VUENOS》っていうクラブに遊びに行きました。音的にはいわゆる“ウェッサイ”が流行っていたので、SnoopやDreでブチ上がりな時代でした。それが20歳くらいのときです。クラブで遊ぶっていうのはそこからが始まりでした。今は移転したけど当時の六本木《NUTS》にもよく行っていました。クラブに行く時はLB03のセットアップとか着てましたね。あとはタイに行ったときに髪の毛をコーンローにしてくれる露店があったので、日本に持ち帰り、そのままクラブへ、みたいなこともしてました。笑 バイトはナイキの靴屋さん。こうやって聞くとすごいB-Girlみたいに聞こえるけど、普段は普通の優しげな大学生でしたから。その頃はThe Rootsや、COMMONのアルバム「Like Water for Chocolate」をよく聴いてて、D’Angeloの「Voo Doo」がリリースされてMusiq soulchildが出てきて… とにかくフィラデルフィア人脈のアーティストが大好きでした。お父さんのレコードプレーヤーを勝手に持って行っていたので、レコードもよく買ってました。町田に住んでいたので《freaks》というレコード屋さんでよく散財してました。他に当時よく行ったレコード屋さんは今は亡き《Guinness records》や《CISCO》、移転前の《Jazzy Sport》などですね。“Jazzy Hip Hop”という言葉が出始めた頃でした。Five DeezとかFat Jonが流行ってましたね。

— 伊那に帰ってきたのはいつ頃ですか?
大学卒業後、東京で働いてしばらくして伊那の実家に戻りました。そのころにDJ機材一式を購入。伊那の《BAR-7 Cafe》で折橋さんと出会い、彼らのブラックミュージック中心のパーティー〈BLACK SUMMIT〉でDJをするようになりました。その後アメリカの会社に就職してインディアナへ。その頃はやっぱりJay Dee(J Dilla)が好きで、アメリカに居る頃に「The Shining」というアルバムが出て聴いてました。
アメリカから伊那に帰ってきて、〈BLACK SUMMIT〉でのDJも再開。プレイするのは伊那の旧《Gram House》が多かったです。その頃の選曲も今のスタイルとあまり変わらない感じで90’s Hio Hopが中心でした。〈BLACK SUMMIT〉は本当に良いパーティーです!松本ではたまに〈RECORD ROOM〉や〈FUNKY TECHNICIAN〉っていうパーティーに出させてもらいました。

— へ〜。松本にDEV LARGEさんが来た時もそのパーティーでしたよね〜。
30歳になった頃、《MOLE HALL》や《GNU》に通いだすようになって。そして結婚を機に安曇野に引っ越してきてました。松本でこんなにDJやるようになったのも、松本の皆と仲良くなったのもそれからです。

— 意外!ずっと松本に居るお姉さんなのかと思ってました。じゃあ皆、松本にでてきてからのSumikaさんのイメージが強いんだ。そこらへんのプライベートなお話はあとでサムギョプサルを食べながら詳しく伺うとして(このコーナーの取材は、marsmooにてインタビュー後、ゲストと一緒に街中に繰り出して韓国料理屋でサムギョプサルをいただく、という流れで定着しつつあります)、最後に最近お気に入りの曲を教えてください。
最近のお気に入りはGregory Porter「NO LOVE DYING」です。

— ありがとうございました!
(そしてこのあと、松本駅前の韓国料理屋・韓彩へ。最終的に皆で、コント集団海リリリが主催のクラブイベント<海ザンス>@MOLE HALLへ遊びに行きました。)

PARTY information! 2015 - June