vol.30

marsmoo too vol.30 りんご音楽祭2022号

MATSUMOTO CITY MAP
マグナムバディーズ 生ポスタープレゼント!
2022
••• りんご通信
今年のルックギャルズ
r.i.p sleeper
-------------------
松本と音楽
川越いもっこ倶楽部
カヲリキッドのMBAチャレンジ。
パーティーとSEX
••• ぷんぷんの穴
JUN OKAZAWA Exhibition告知

そんなこんなで、
2020年と2021年お休みしていました、marsmoo too、復活号がまたまたたまたま「りんご音楽祭号」!ご縁がありますね。 今回勢いでまたmootooできたのはひとえにチーム界隈のみなさまのおかげです。愛してます。このZINEはライブです。
りんご音楽祭、今年もスリーパーにキレっ倒してやってきましたが、おれもデータミス多かった!なまってました!
でもその日すべてまたおさまったと思えた、ルックの撮影。みんなと街をクルージングできた夏の終わり2022。
はやく当日になってみんなと遊びたい!!!

MATSUMOTO CITY MAP

マグナムバディーズ 生ポスタープレゼント!

2022

こんにちは皆様。
既に入稿期限は過ぎてこれを書いておりますので、雑な「一筆書き」としてお収めください。
marsmootooからの依頼で「3行でいいから一言!」と言われましたが、逆に難しいのでキリが良いところまで。。
私は2020年まで総合制作をやっておりました志村と申します。過去形でありますから今の立場は「お客さん」という事になります。何を書くのだ?とお思いでしょうが、この文章を掲載してみようというmarsmootooのイタズラ心が「りんご音楽祭号」らしいと思いましたので、それについて書きはじめ、どっかいっちゃったところで筆を置こうと思います。繰り返しになりますが、入稿期限は過ぎているのです。。
フェスというのは濃厚な「人間関係」の塊です。お客さん、スタッフ、演者。どの立場の人も誰かの縁で会場にいます。
そうじゃない孤高な人もいるかもですがそれも「人間関係」で。
りんご音楽祭の中身は私が見るに特殊な部分があり、それが会場に自由な雰囲気を伝えていると感じていますし、長く続けてこれた理由でもあるとおもいます。
その原因になっているのは「お客さん、スタッフ、演者」の立場に曖昧なところがあるところです。私は「総合制作→
お客」だし「お客↔演者」も一杯いるし「お客↔スタッフ」なんて数え切れないかも、です。かっこつけた表現をすると「訂正可能な人間関係」ということです。
固定化された組織というのは実は継続が困難です。私のように「立場は自分で選択する」という行為が歓迎される世界が良いと思いますし、それを受け入れていける組織だけが継続的な革命を行えるのでは??フェスということだけでなく皆さんの人間関係はいつだって訂正可能で、それによってのみ末永く一緒にいられるのではないでしょうか?
ん??あれ???もうなんか風呂敷広げすぎたな、、何書いてるか訳わかんなくなってきた。
時間無いので終わりにします。
まあ多分アレだ。「みんなこんな時代だけど調子良くやりたいよね?」みたいなことです。
あと自分のこと「お客」とか書いたけど、結局手伝ってたりもしたのでそれも「訂正可能」で。
では、みなさん楽しんでください!!!


お客さん/ボランティアスタッフ(ex 総合制作) 志村龍之介

今年のルックギャルズ

カメラマンはmootoo表紙も撮影してくれるなかくん。モデルはおれたちの街の娘、かれんちゃんとゆりなちゃん、そして今年からりんご音楽祭の広報チームでPodcastをやったりしてくれている長崎くん。今年もキレ味最高のina先生。私とina氏とともにグッズデザインをしてくれたデザインチームのあゆみちゃんとあやかちゃん。ありがとう!

r.i.p sleeper

-------------------

松本には映画館がありません。というのは嘘ですが、いわゆるミニシアターがないのは本当。そんな我が街で、シネコンじゃかからないあの映画がみたい!という欲をお腹いっぱい満たしてくれる最高に尊い存在といえば、ご存じ松本CINEMAセレクトです(知らないやつは今すぐ検索)。基本的に1作品につき1度上映するきりなので、行けば高確率で誰かしら友人に遭遇します。そんなときは観賞後に「Give me little more.」で1杯やりながら、あるいは「香根」で牛スジ麺でもすすりながら、映画の感想もほどほどに街のウワサ話に花を咲かせるのがよい週末の過ごし方といえましょう。

イクマ

松本と音楽

澤谷 映

 松本市には、通算15年ほど住んでいる。市内でいくつかの賃貸を転々としてきたが、そのうちのひとつに岡田松岡という地区に建つ、家賃3万、2DKがあった。
見渡す限りのなかで一番ボロのアパートだったが、大家さんがきちんと管理しているおかげでキュートな生命力があって、近所の方は手作りの野菜をくれるし、目の前の田んぼを通った涼しい風が窓から入ってくるし、ベランダからは遠くの花火もよく見えて、とても居心地のいい部屋だった。
アルプス公園からは2キロ以上離れているアパートだったが、向こうの山からこちらまでをさえぎる建物がないために、毎年りんご音楽祭の音が風にのってかすかに聴こえてきた。ズンズン、ズンズンと、山の中からベース音が聴こえてくるのだ。街に音が降っているその様子は私にとってまさに松本そのもので、いつの間にか私は、いつでも音楽が鳴っている場所としてこの街を認識していたのだった。
 からだに物理的に響き、自分のなかにとりこめる感動として、音楽ほど素晴らしいものはない。いわゆる心の支えのような作品は小説や絵画や映像にもたくさんあるけれど、オリジナルと自分が事実として混ざり合うことができるのは、再生された音と私の歌声を心のなかで重ねることのできる音楽だけだ。
一時期松本を離れ東京に出たときも、私の中では気がつくと長野の音楽がジャカジャカと流れていた。
東京の喧騒になんだか心がざわついたときはslumと共にそれを森のざわめきに変換したし、社会構造の高低差にめまいがしたときには岡沢じゅんと一緒にヒッピーにも世界皇帝にも誕生日はくると歌った。今だって、クソッタレと思ったときには、Her Braidsと一緒にアイドントウォントューと心の中で中指を立てている。
 りんご音楽祭には、長野のアーティストも毎年出演している。それは地元だからというだけでなく、しかるべきであるからだと私は思う。
 さて、2022年のりんご音楽祭は、どんなだろう。心のなかで流れるメロディがまたひとつ増えることを楽しみにしている。

川越いもっこ倶楽部

埼玉県川越市出身のDJユニット。主に三茶番外地にて活動中。 向かって右がひめあやか、左がみかんてぃす。
マネージャーはラビットゲッパー。

川越いもっこ倶楽部のファン♡夜の部23楽しみ♡
バイレファンキかけ子からの流れがあつい〜!

カヲリキッドのMBAチャレンジ。

 人間は古来ずっと、本性とし「自由」というものを追い求めてきた。近代において、初めて自由が与えられた社会がつくられたというのは人類史上においての一種のイノベーションであった。しかし近年、ポスト資本主義が叫ばれているように、自由を獲得した国々でも格差が拡大し、「不平等」が叫ばれている。それは近代の経済システムである資本主義が今、機能不全に陥っているということの現れである。人類が命を懸けて獲得した「自由」と「平等」に今何が起きているのか? 近代国家の成り立ちにおいての最小原理である「一般意志」と「自由の相互承認」の説明を通して解明したいと思う。
 まず前提として、近代以前の国家について説明をする。約1万年前より前の原始的な共同体においては、首長と成員で構成される平等な○型のコミュニティが形成されていた。しかし、農耕、牧畜、定住により財が蓄えられるようになると共同体同士の略奪や侵略が起こるようになった。それは相互不信を呼び起こし、ホッブスが「万人の万人に対する闘争」と呼んだ普遍戦争状態が始まった。この戦争共同体における戦いを止める方法は支配者層による覇権の理論で、そこに財と権力を集めざるを得なくなる。こうして、概ね15%の支配層と85%の被支配層で成る△型の支配階層型社会がつくられた。これらの超絶権力は必ず専制支配構造となり、人間の自由など存在しえなかった。
 この普遍戦争と絶対支配を止める、つまり、万人に自由を与えるための原理としてルソーが示したのが「社会契約」と「一般意志」である。すでにカントが神の存在を証明できないという証明を行ったように、当時は世界・社会・人間のあり方の全てを統治していたキリスト教の権威が失墜し始めており、ルソーは人民主権の社会をつくるためには、まず各人が自由を自覚しなければいけないと考えた。そして、神聖権や専制支配による統治に代わるものとして、それぞれの個人が自分も他人の自由も認め、全員の意志の合意によって統治者を任命すること(社会契約)でつくり上げられた人民主権の政府だけが正当化されるとした。
 その際の人民主権による政治統治の正当性の根拠になるのが「一般意志」だ。公平・公正な社会を営むうえでの努力目標、理念であり、特定の特殊利害に配慮しないでできるだけ全員に公平になされるようにしなければならない。ここで重要なのは、不公正が生まれるため「一般意志」は多数者意志というような数の多さで図られるのではなく、社会の構成員全員への配慮に向かおうとする指導原理だということだ。ルソーはこの原理によって△型の社会を○型にしようと試み、民主主義の基本設計をつくり上げた。
 ヘーゲルはルソーの柱に「人間はこうあるべきだ」という人間存在の考察を接続させてさらに発展させた。そのとき加えた原理が「自由の相互承認」である。ヘーゲルは、『精神現象学』における「人間の欲望の本質論」で、人間は生まれつき自由ではないが、歴史を見ると人間は必ず自由を求めるという本性を持つ。そのため、ホッブスが指摘した主奴の体制は不可欠だ。しかし、主と奴の闘いから解放されるためには、長い歴史を通して考えても、自分と相手の自由を承認し合う以外、原理的に誰もが自由になるということはできない、とルソーの「社会契約」を「自由の相互承認」と置き直してさらに昇華させたのだ。そのため、自由を取得するためには、「一般意志」と「自由の相互承認」という原理が不可欠であった。
 近代国家(市民国家)が成立した前後、歴史上初めて生産の持続的拡大を可能にした資本主義も自然発生的にヨーロッパに起きていた。相互浸透的に民主主義と作用し合うことで、自由の獲得に不可欠な一定の富の基盤も蓄えられるようになり、人間的自由を追求するための政治・経済の基盤ができ、人間の自由な欲望の解放も進んだ。単なるエゴの闘い合いにならないためには、単にお互いの自由を認め合うだけでなく、人間として配慮し合うという意味での「自由の相互承認」が近代国家の本質となった。
 しかし、アメリカを中心に民主主義・資本主義は機能不全に陥っている。個人の所有権こそ社会正義の基礎と考えるリバタリアニズムと、格差を是正すべきだと主張する派閥とのイデオロギー対立による二極化が生じている。これは哲学的に見て、自由が神から与えられているという「natural rights」の考えである天賦人権を基にするロックの社会思想か、人間は生まれつき自由の権利を持っているわけではなく、「一般意志」による社会契約と相互に自由を認め合うことと考えるルソーの社会原理の違いから来ている。
 前者の「自分の経済活動で得た財は自分のもの」という考えが大きな格差や政治における富裕層優遇策への推進を後押し、「自由と平等」の概念は今、大きく失われつつある。哲学的観点からみた原因の一つは、ルソー・ヘーゲルの「一般意志」「自由の相互承認」という原理の欠落による政治・経済システムの歪みにあると考える。以上が、「一般意志」「自由の相互承認」という原理に基づく近代国家(市民国家)がつくり上げてきた自由と平等の成り立ちと課題についてだ。
  "Capitalism Course"を学んだなかで私が最も意義深かったと感じたポイントは、資本主義と民主主義の根本の設計図というものを解き明かしてくれたことにある。この授業を受けるまで資本主義は経済学、民主主義は政治学とそもそも切り離して考えていた。しかしながら、民主主義と資本主義というのは近代以降、社会をより良くし、人間の本来の自由を解放するために哲学者によって編み出された原理が基盤となって、どちらもがコインの裏表のように相互浸透的に影響しながら発達してきたということが一本の筋で通ったときは新たなパラダイムに入った瞬間であった。それは哲学の物事を根本まで深堀りし、根源原理を抽出して鍛え上げていくというアプローチや、現在まで残っている強い原理を学ぶことで、物事に対する視点と観念を大きく変えてくれた功績が大きい。このパーセプションチェンジによってどう視点やアプローチが変わったのか、最大の驚きを与えてくれたマルクス主義でお伝えしたいと思う。
 私はかつて知人から共産思想に触れたとき、私たちは資本家の搾取構造のなかにいる。でも共産主義が実現されれば、自分の好きなことだけをやっていれば良い世界が訪れると聞いたときは、そんなこと実現しようがないと思いつつも、実現したらどんなに良いことかと想像して胸踊らせたことがある。しかし今は、それが単なる理想郷だということがはっきりとわかる。例えば、強い権力を集中させたら覇権主義に陥り、支配者層に入らない限り非支配者層民となり、自由を諦めざるを得ないということをホッブズの覇権の原理で構造的に知っている。またその逆に、最終的に階級が廃止され、国家の廃絶が起きた場合、強い権力の集中が伴わない場合は相互不安を喚起し、普遍闘争に陥ることもわかった。さらに言うと、たとえ一時的だとしても巨大な権力で国民の所有を奪い、政治・経済などを支配し他国との革命闘争に入ると、強国間での闘争は敵がいなくなるまで続き、戦争状態も独裁状態も終わらせることができない。つまり事実上、ずっと闘い続けることとなり、国民の自由はほぼ永遠に与えられないこととなる。
 リアリティを持っていたマルクス主義をここまで明快に批判し、構造的な欠陥を解き明かしてくれたのには大変感動を覚えた。共産主義国家は実際にはさまざまなファクターが絡み合って破綻することになったが、このように分析すると、フランス革命やアメリカ独立の時のような社会を変えて自走させ得るような根源的な原理を持ち得てなかったという新たな答えを導き出すことができた。またこのような考察からも自由を得るためには一般意志と社会契約、自由の相互承認しかないと断定したルソーとヘーゲルの原理の強度と説得力を改めて実感することとなった。さらには、制度そのものを安直に批判されている資本主義の設計図そのものも方向性が間違っていたというわけではないということがわかった。
 しかしながら、格差が広がり、ポスト資本主義が声高に叫ばれているように、暴走装置になりかけていることは否めない。具体的な問題点やソリューションの可能性は授業で網羅的に挙げられていたので、追加で私なりに深堀りしたいことは、自由の相互承認を加速させ、メンバーシップを広げる可能性が最も大きい「文化のゲーム」だ。クリエイティブ分野に馴染みがある私からしても、とても理にかなっている原理だと思う。なぜなら、「文化のゲーム」は一部の超競争領域を除いてはフレキシブルで、関係性がフラットで、基本的に何でも創造できるプラスサムゲームのため相互承認しやすい土壌だからである。
 ここで一つ、私のメインフィールドであるクラブカルチャーのパパ、りんご音楽祭の志村校長に教えてもらったパーティー家訓を紹介させていただきたい。「君の選んだパーティーが最高だ!」。例えば、AとBのパーティーどっちに行くかを友達に尋ね、私はAを選び、万が一友達がBを選んで私が一人でAに行くことになったとしてもその選択を祝福して応援できる子が多い。それは哲学的に考えると、無自覚のうちに相互承認し合っているということになる。それはクラブカルチャーという機構が、職業や肩書、人種、ジェンダーといった社会に定義づけられるものをいっさい剥ぎ取り、「そのカルチャーをこよなく愛する人間」という生身の自分に近い状態で接することができる、心理的安全性の高い場所であることが大きいと思う。
 もう一つ、カルチャーの力を感じるエピソードをシェアしたい。治安が最も悪かったときのニューヨークでサウスブロンクスから始まったヒップホップ。1970年代はブロンクスは無政府状態で、毎日略奪や火事がそこかしこで起きていた。そのときに「同じスラム内で同じ人の血が流れる人間同士で血を流し、殺し合うのは間違っている。争うのであれば文化で争えば血は流れない」という考えを広め、銃の代わりにラップやブレイクダンスをお教え、道徳教育をほどこしてUniversal Zulu NationをつくったAfrica BambaataaというDJ。相互不安に襲われていた街に暴力抑止としてヒップホップを広めることが、ブロンクスの治安回復に寄与したという。まさにこれはメンバーシップの拡張によってコミュニティを△型から○型に変える、ゲームオブカルチャーの力だと言える。
 最後に、「生のエロス」とヘーゲルの「事そのもの」について触れて終わりたい。生きることの喜びである「生のエロス」や、人間の世界で一番大事なことである「事そのもの」を生きることは私の人生においての最大の目標で、今後の社会でもますます大事になってくることだと考える。なぜなら、個人の自由の相互承認が進んできた過程で多様性がこれまでにない規模で進んでいるからだ。そのため、これまでの王道であった家族形成もキャリアパスも必ずしも正解ではなくなってきている。予測不能な現代を生きるなか、生きるエロスに没頭したり、多様なアプローチでメンバーシップを増やすというのはリスクヘッジにもなると思う。
 私の願いは、個々人が家族や恋人、会社や社会などの人生観やこうあるべきだという姿にとらわれずに、それぞれにとっての生のエロスを心から謳歌できる人生を送ることだ。アダム・スミスの国富論と道徳感情論の一見矛盾しているように思える言い分に似ているかもしれないが、自分の真の生に正直に生きることが巡り巡っては周りも社会も良くするのではないかと考える。ただあまりにも現代社会とマッチしない、持続不可能なこの生活をどうやって成り立たせるのかという疑問がやはりついてまわる。授業でも「事そのもの」の必須条件としての一般福祉と、テクノロジーによる生産性の向上の可能性とあり私も期待しているところではあるが、まずは自ら実証実験をしようと昨年、「エロスの活動」に注力できるよう仕事を辞めた。自ら体現して見せることも一つの可能性の提示だと信じ、生のエロスを追求し続けながら経済のゲームをうまく回す術を見つけていきたいと思う。
追伸:2022.9.18現在、資本主義に抗うと資本主義に反撃されることを体感しつつ、人生の這い上がり目指して格闘中。ちゃんとした資本主義と民主主義の考察に
ついて気になる方は、竹田青嗣先生の『哲学は資本主義を変えられるか ヘーゲル哲学再考』をご覧ください

ぷんぷんの穴

パーティーとSEX



パーティーとSEXは近い効能があるのではと


思ってるぷんぷんです。


結局、気持ちいいこと全部やりたーい♡


一緒にっ、一緒にっ、一緒がいいぃ


みんなぁ〜それぞれの多幸感を、


やれやれー!

JUN OKAZAWA Exhibition告知