vol.4

marsmoo too vol.4 2015 JULY(に出したかったAUG号)

midsummer greetings all!!
BEYOND COMMON
••• BEYOND COMMON
オビの今回は帯じゃないコーナー
イクマのレコメン漫画一冊
HARUレポ
なにもやる気がおきない。
••• ハピの屋根裏コラム
Lights! Camera! Renovation! vol4
Goes on 001
ぷんぷんからのLINE
Vol.4 音楽作品に対しての価値
••• しのぶの世界
レッツゴー新聞 第46号(昭和60年7月5日)
••• レッツゴー新聞
泣きたい気持ち
••• ezure chan
善五郎の滝 byはる
7月31日(金)晴れ
StarLight
••• Kai Hirose
DEIL'S PIE HOME PARTY 2015.8.15.SAT
雑コラ byTCT
Rêve de Pierre「ピエールの夢」
さし
COME ON! vol.4 Chifumi Fujisawa
••• COME ON !
PARTY information! 2015 - August

midsummer greetings all!!

midsummer greetings all!!

マーズモーより暑中お見舞い申し上げます。
最近本当に暑いですねぇ〜。
毎年言ってるけど、脳みそ溶けちゃうんじゃないのってくらい。
夏のせいにしていいのはスチャダラパーだけ、と分かっていながら思い返すとすでにトピック色々やってる2015夏。
いつもりんご音楽祭を夏の締めに設定しているので、今年も9月末までは夏だなぁ。
27sunのday2に出演決定したスチャダラパーの、本物の「サマージャム’95」を聴くまでは色々ぶっ飛ばして頑張ろう。

この背景の写真は7月の日曜日に開催したマーズモーBBQの模様です。
いつもバタバタにお付き合い下さる皆様ありがとう!
また今月も10日(月)に、恒例の筑摩花火に合わせてBBQやりますので是非お立寄くださいね。

BEYOND COMMON

オビの今回は帯じゃないコーナー

イクマのレコメン漫画一冊

イクマのレコメン漫画一冊

大島弓子
「毎日が夏休み」
(1989)

いじめを原因に登校拒否に陥った娘、失業した元エリートリーマンである義父と見栄っ張りで世間体ばかり気にする母、主な登場人物はこの3人。そんな「スクラップ家族」の物語であるにも関わらず、頭からお尻まで悲壮感は一切はなく、力強い言葉やクスッと笑える場面がハッピーエンドに向かって一直線に展開される、極めてアッパーな作品です。
娘から義父へ、夫から母へ発せられる言葉の爆発力!甘さ!その他フキダシから漏れたボヤキの全てまでが愛おしい。読後には爽快感と自己肯定感に全身を包まれること間違いなしの60P。

HARUレポ

ハピの屋根裏コラム

なにもやる気がおきない。

なにもやる気がおきない。

日が出てるうちは暑くて動けない。夜はビアでも飲まないと始まらない。
これまでとんとん書いてきたコラムの筆が進まないのもそれだきっと。
だいいちわたしの住んでいる場所は、鉄骨でできた建物のロフトなのでとにかく暑い。一番暑いときで50度くらいはいってそう。
いっそサウナとして利用することも視野にいれたい。
というわけで、なにはともあれ、夏だ。
ちかごろプールに通い始めた。なにか夏らしいサムシングをひとつと思ったところ、近場に市民プールがあるのに気がついた。
これは良いということでチャレンジいざ。そういえば松本に来てからプールにも海にも行ってなかったので、とりあえず水着を買う所からスタートしてみた。
すぐ南松のスポーツショップまで走り、pumaの水色のぴちっとしたやつがセールだったので買ってみた。
お目当てのプールに行ってみると、これがなかなか丁度いい大きさで、ジャグジーみたいなものもあって、しかも一回300円なので文句なしだった。
久しぶりの水泳はけっこうハードだけれど、いい運動になってとっても気持ちが良い。とりあえずは平泳ぎでスイスイできるのを目標にしてがんばってみている。
その施設は他にトレーニングジムや公民館みたいなスペースもあって、「ゆめひろば庄内」というなんとも打って出たネーミングらしい。
近くには「夢大陸(ムー大陸)」というこれまた打って出たネーミングの大型リサクルショップがある(もともとは「お宝中古市場」という名前だったのだがつい最近なんとなく変えていた)。
どちらもお金をかけずにだらだら楽しめる、松本のドリームスポットとして個人的に名高いこの頃。
スイミングもそうだが、マーズモーヨガを毎週やっていたり、ジャンベという太鼓をコツコツ練習したり、ヒゲを伸ばしてみたりと、最近あたらしいことにチャレンジ気味だ。
マーズモーの一角にミニハーブ農園をつくるのが最近のニューサムシングニューになった。なんだかこの頃、夢にあふれてる気がしてきた。この筑摩あたりもかなりドリームスポットかもしれない。
そういえばスケボーを借りてこれも初めて乗ってみたりもしたが、派手にこけて軽傷を負ったのでもう乗りたくなくなったなんてこともあった。
サムシングニューは失敗もふくめなかなか良き刺激だなと思ったりする日々だなーっていう。
たいしたこと書けないなぁ。
というわけで、なんとなくリコメンドミュージック。
Raymond Scottさんの『Soothing Sounds for Baby』という作品。
赤ちゃんに聞かせるために作られた音楽らしく、全編ふわふわした音が聴けるよ。わたしも初心にかえって指をしゃぶって聞いたりしたい。
そんな夏もまた一興かなと

Lights! Camera! Renovation! vol4

Goes on 001

ぷんぷんからのLINE

しのぶの世界

Vol.4 音楽作品に対しての価値

いや~あついね~、信州の夏ってこんなにあつかったっけ。まあ暑さにはつよいので、さむいよりは問題ないけどね。
1年で一番いそがしい週末をのりきって締め切りぎりぎりでかいております。
さてさて、最近ストリーミングでの定額聴き放題サービスがぞくぞく登場してるよね。
かくゆう私も某Aミュージックを試用はじめてみたけど、こりゃすごい。
僕らのような音楽ヘビーユーザーは、金さえありゃ月に20枚くらい買いたいとおもってるのに、月々1000円くらいで聴き放題って超魅力的。おまけに、お勧めのプレイリストやラジオまで、わざわざ探しにいかなくても耳に入ってくる。自分の好みに合わせたお勧めも探して来てくれるし、ストリーミングだけじゃなく自分の手元にも残しておける。
リスナーとしては天国のようなシステムなんだけど、はたして、これ、ミュージシャンにとってはどうなんだ?ちゃんとお金が入ってくるしくみになってるんだろうか。

もうひとつ、こんなに安く音楽が手に入っていいものだろうか?1曲が完成する迄にはもの凄いエネルギーと時間が費やされている。それが1000円で聴き放題、そして、じぶんの大好きな作品のために直接お金を払うって行為がなくなってしまうってのは、作品に対する価値感がいままでと根本的に違ってしまう気がするな。
いずれにしても、音楽産業にとっては、itunes のシステムが登場して以来の大きな転換期をむかえるだろうね。
ミュージシャンにとってますます夢を見られない状況にならないことを切にいのります。

レッツゴー新聞

レッツゴー新聞 第46号(昭和60年7月5日)

TheFUkazawas

ここは松本市中央1丁目。

深澤家が毎週金曜に発行する「レッツゴー新聞」
それぞれの日々をつづる、第46号(昭和60年7月5日)

1984年 「できるかな」大好きの妹が突然「新聞を出す!」と言った。やさしい家族はみなそれに付き合って、「レッツゴー新聞」(A2サイズ)が創刊された。それは、駅から徒歩1分、来客が多い深澤家の居間、一番目立つ場所に貼られた。元祖スパルタ鬼嫁だった母の「続けなくては意味が無い!」という強く固い意志によって、「レッツゴー新聞」は家族それぞれの心情、葛藤すべてだだ漏れのままに、1989年235号まで、毎週金曜に発行され続けた。

妹 7歳/兄 14歳/姉 17歳 
母 43歳/父 46歳/ババ 69歳/ゴー(猫)?歳

泣きたい気持ち

善五郎の滝 byはる

7月31日(金)晴れ

StarLight

DEIL'S PIE HOME PARTY 2015.8.15.SAT

雑コラ byTCT

Rêve de Pierre「ピエールの夢」

さし

COME ON !

COME ON! vol.4 Chifumi Fujisawa

vol.4 Chifumi Fujisawa

marsmoo vol.4ということで、このコーナーも4回目に。クラブ色が強かった前回までの3組のゲスト陣から打って変わって、今回は長年に渡り松本インディー・ロックシーンを支える女性、チフミさんにインタビューさせて頂きました。伝説のライオットガールバンドP-heavyのメンバーであり、松本きってのフェミニスト。様々な固定観念の集合体であるmarsmoo tooの根底に流れる、“フェミニズム”の精神(女性の権利を主張し、男女は政治的、経済的、そして社会的に平等であるべきであるという信念)を私達に伝授してくれたお姉さんでもあります。例によって音楽ルーツをお伺いしていったところ、聞いているだけでお腹いっぱいな話のボリュームと歴史の濃さでしたので、コーナー初の前後編で、2号に渡ってお届けしてみたいと思います。

— 音楽に興味をもった最初のきっかけってどんな感じでしたか?

子供のときがアイドル全盛期で、TVでザ・ベストテンを観て新曲を覚えて、いつも次の日には歌ってた。女子のアイドルが大好きで歌マネしてたね。それで中学になってバンドブームがきて、TVっ子だったのでいかすバンド天国(=イカ天)・夢で逢えたらを観まくってた。そのバンドブームの中でも自分が本当に好きになるのってあまり売れてないバンドで。あまり知られてないけどめちゃくちゃ格好いい!みたいな、インディーズ意識みたいなのが当時から芽生えてたのかも。特に好きだったバンドがメスカリン・ドライヴ、ニューエスト・モデル、The ピーズ。メスカリン・ドライヴはオールガールバンドで、この頃からガールズバンドが気になりだしていて。こっそり音源を探して聴いていましたね。

— 当時って音源とかってどうやって手に入れていたんですか?

パチパチとか宝島の雑誌、あとは当時渚にあった電気屋、片隅にCDを売ってる小さいスペースがあって。そこが結構レアなインディーズのCDを売ってたりしたの。レンタルCD屋にはあまりいいバンドが置いてなかったから、主にそこに通って買ってたかな。今ラボラトリオがあるあの辺にもレンタルCD屋があって通ってた。
そこからまあちょっと…とにかく変な音楽が聴きたいんだけど、なかなかCDが見つけられないみたいなもどかしさがありつつ、海外のボーイズBAND、洋楽もかっこいいかも!みたいになってきてて。Olive少女だったから、Oliveで紹介されてる音楽を片っ端からチェックしてた時にフリッパーズ・ギターが出てきて衝撃を受けて。勿論フリッパーズ・ギターも格好よかったんだけど、彼らが影響を受けたUKのネオアコのバンドとかを聴きだしたの。
中学の終わりから、松本の年上の大人の人達が気になりだして。
街中でチラチラ、「あの人かっこいいな」とか見てね。昔は服装だけでかっこいい人が一発でわかったから、そういう人がいる洋服屋さんに、買えないけど行ってみたり。当時あったDO!familyって服のブランドの路面店に通うようになってそこのお姉さんが今もお世話になっているキミちゃん(現salon as salon店主)で、話をするようになって、可愛がってもらうようになったの。
洋楽をいっぱい聴きたいけどお金がなくて買えなかったから、レコードを沢山持ってるキミちゃんたちによくカセットテープでミックステープを作ってもらった。それで大人が聴いてるUKの格好いいやつを聴けたり、自分で音源買えるやつは買ったりしてて。
その頃、PARCOの目の前にレッツっていうショッピングモールがあって中にCDプラザというCD屋さんがあった。当時松本では唯一輸入盤を扱ってるお店だったの。高校のときによく通っていて、そこのヨーコさんっていうお姉さんがめっちゃ音楽詳しくて、80~90年代のUKの音楽はヨーコさんに教えてもらいながら自分でも好きなバンド見つけていってレコード買ったりとかしてたね~。

ー へ~!高校生活はどんな感じでしたか?

高校生活は学校に全然友達がいなくって、年上の大人の友達がいっぱいいた。あと他校のちょっと面白い女の子達とか、信大の人文学部の変な人達とか…音楽好きで頭のおかしいような人達とばっかり遊んでいて。
同じ趣味をもってる人を探すために必死だった。たとえばミスタードーナツでお茶してて、CDプラザの袋を持ってる人がいると「あのひと何買ったんだろう?」って気になって話しかけたり。それで「貸してあげるよ~」って言ってくれて友達になったりとかして。
のちにP-heavyというバンドを組むことになる幼馴染のナミちゃんはその頃からいっつも一緒に音楽を追っかけるパートナーだった。当時ってムーブメントがいっぱいあったから、常に「次あれがくるらしいよ!聴いてみる?」って感じで。高校1年生のそんな頃に、ヨーコさんがパーティーを始めたの。小町堂っていう、今の邦心らーめんらへんにあるレストランで、10~15人くらいの小さいパーティー。もちろん機材設備もないし、持ち込むのも大変だから、ヨーコさんが作ったミックステープを流してみんなでお酒のんで踊って。そのパーティーに遊びにきてたのがOGRE YOU ASSHOLEのBa.清水さん、Candle JUNEさん、今パリで画家やってるエッちゃん(ETSUKO KOBAYASHIさん)、Maher Shalal Hash Bazのサックスプレイヤーの人、NYで活躍してるハードニップスってバンドのナカムラヒトミちゃんとか、皆今もそれぞれ活動している人達。その時期に出会った大人達が今の私の基礎をつくったの。今でも付き合いがある人も多いし。大人に混じって、すごく色々な世界を見せてもらった。
エッちゃん、ナミちゃん、あともう一人マリちゃんって子と私でチェルシーガールズっていう活動はあまりしない架空のバンドもやってたよ。フリーペーパー作って、嘘のライブ予定を書いたり。バンドとしては幻的に信大の大学祭ビニールハウスでのライブで一回だけ、イギリスのアーティストのカバーを一曲やっただけ。エッちゃんがすごくアーティストだから色々仕掛けて、サルバドール・ダリの作品の真似をしてフランスパンを頭に載せて皆でパレードしたり。笑
そういう奇想天外な遊びに時間を費やしてた。

ー すごい!架空のライブ告知って、気持ちすごくわかります。それを実際にやってたとは…地元松本で特に通ってた遊び場とかってありますか?

…そういうのはあまりなかったかなぁ…信大のキャンパスとか、信大の子の家に遊びに行くことが多かった。みんなでご飯食べながら、誰かが新しく買った曲を聴いて、オタク同士で話してたね。

大学生に借りたレコードをカセットテープにコピーしたり。高2の時、渋谷クアトロにUKのHEAVENLYっていうバンドを観に行った。そのときが初めて東京にライブを観に行ったとき。エッちゃんがちょっと英語もできたから、エッちゃんについていったって感じ。そのあともフリッパーズ・ギター解散後には小山田くんのDJを観に行ったりして。当時はIDチェックがなくて、YELLOWのオールナイトのパーティーも入れたよ。そこで東京の女の子と友達になって、学校休んでその子の東京の家に転がり込んだりとか…

— 濃い高校時代ですね~。岡崎京子の漫画に出てくる女の子みたい。そして卒業してからも地元に残って。

高校卒業後は、新星堂っていう松本に2店舗あったチェーンのCD屋で働いてた。新しい音楽もチェックできるしね。その頃ってCDショップの試聴機が新しい音楽の一番の情報源ですごい重要だったんだけど、洋楽担当になって試聴機をまかされたの。そこでいつもマニアックなのばっかりいれてたら、仕事でお店に来るレコード会社のメーカーさんに気づかれて。
メーカーさんが「松本に面白い子いるよ」って言ってくれて、段々知られていって…諏訪のマキノさん(ライブイベントCRAZY RHYTHMS主催者)に話がいって、それを更にマキノさんの所に通っていたUSYN、ユーキャン達が聞きつけて私の試聴機を聴くために毎週末松本に来るようになった。それくらい当時は試聴機がすべてだったの。
それでしばらくしてUSYN達と友達になって、「信大の面白い人達を紹介するよ!」って遊ぶようになって。そこからUSYNや勝浦君(OGRE YOU ASSHOLE)達とエスケープベロシティってバンドを組んだり、Smooth3って信大で伝説のバンドを組んでいた山口君(The Lost Club)と一時的にバンドを組んでグラスゴーのバンドThe Vaselinesのコピーしたり。私は楽器ができなかったからサイドボーカルだったんだけど。でもそのバンド達は一瞬で自然消滅していくの…笑
ちなみに、2013年にALECXでThe Vaselinesの来日ツアーの企画をやったの。昔そうやって憧れていた人達と、のちに仕事できるようになったっていう!
19歳のときにはフランスに3ヶ月間、エッちゃんナミちゃんと行ったよ。語学留学だったんだけど、元々学校嫌いだからちゃんと通えなくて。いつも週末になるとインディーロックのパーティーに通い詰めた。イギリス近いからイギリス人もくるし。来日公演のチケットが高いアーティストもあっちなら1,000円とかで観れるし、ライブも観まくってた。留学に行ったっていうより、とにかく夜遊びしてたね〜。
そのあと松本で普通に働いてるときも、数々のバンドにちょろっと参加したりしながら、ヨーコさんを筆頭に来日公演を月3くらいで観にでかけてたな~。
そして、1998年に、わたし的事件があるんだけど。

— チフミさん事件!

アメリカのワシントン州オリンピアのK Recordsっていうインディー・レコードレーベルのThe Crabsっていうバンドがマキノさん主催のCRAZY RHYTHMSでポアゾン(現SONIC)に来日ツアーで来たの。それまでバンドっていったら、キマってて演奏がすごく上手くてってイメージだったんだけどThe Crabsは女の子が2人いて、演奏中メンバー皆がすごく楽しそうだった。とにかく楽しげで、こんなの初めて!みたいな感じですごく感化されたの。当時は英語が分からなかったからフランス語で話しかけて、色々質問して。それがきっかけでオリンピアっていう小さい町のことが好きになった。The Crabsを観て、「私にもできるかも!」って思ったの。今まで男の子のバンドにお飾り程度で入ってたけど、「自分たちがメインでできるかも。自信をもってやらなきゃ!」って。そのライブの時にメンバーのSarah Dougherが「ここにはガールバンドがいないのね」ってぽろっと言ったの。アメリカでライオットガールのムーブメントがあった時期の後で「女の子がレボリューションを起こせ!」みたいな流れがきてた時だったから。「たしかに松本にはガールバンドがいないな」って思って、「じゃあ私くむ!」ってSarahたちに宣言して。「今度私達が日本に来るときは、あなたたちが前座をして」って言われて、そのライブのすぐ後にバンドを組んだ。それがP-heavy。ナミちゃんがギター、あと新星堂にお客さんで来ていたマサコと私がドラム、ギターを交代で。自分が書いた曲は自分でボーカルをやるっていう決まりで、編成を曲ごとに変えて。

— そうして伝説のガールズバンド・P-heavyが誕生したんですね。P-heavyにベースがいないのはなぜですか?

今までで一番影響を受けた大好きなバンドSleater-Kinneyがベースレスだったから、それに憧れて。3人でバンド組もう!って決めて、まだ全員がなにも楽器ができない頃、丁度Sleater-Kinneyの来日ライブが新宿LOFTであったの。だから「全員で観に行ってそれでバンド始めようよ、Sleater-Kinneyにバンド名考えてもらおうよ~!」って盛り上がって。終演後に話しかけて、バンド名決めて!ってお願いしたんだけど「バンド名はすごい大事だからメンバーで決めたほうがいいよ」ってアドバイスされて、そうですねってなったり。笑
色々なアーティストの来日ツアーに遊びに行ってそこでZINEを作ってる子や、ライオットガールのムーブメントに興味のある子に出会ったり友達がどんどんできた。P-heavyを結成する全然前に、エスケープベロシティで海外バンドの前座の機会があって私はそのときに初めてちゃんとバンドのメンバーとしてライブをやったんだけど、そのときにすごく自尊心が高まったっていうか、自分がやってることに自信がでてきて。
私は元々根暗だったけど、そういう日陰にいるような女の子でもステージに立つことができるし、なんでもできるんだっていう意識が芽生えてきて。だからちょっと自信がなさそうな女の子もバンドに誘って、みんなでバンドやったら絶対楽しいよ!って考えるようになって。とにかく女の子たちと色々共感したかったの。それが「バンドをやりたい!」って強く思うようになるきっかけだった。そしてP-heavyを作るきっかけになった事件から一年後の1999年に、またThe Crabsが来日して、松本で約束のライブが出来たんだ!
一年前には何もできなかったのに、前座をするようなガールバンドを本当に作って、必死で勉強した英語でコミュニケーションもとれるようになっていて。それですごい褒めてもらったの。きっかけを与えてくれたSarahが、P-heavyを初めてバンドとしてきちんと認めてくれた人。そのライブの時は不慣れで音もとまっちゃったりしたんだけど、認めてもらえて、もっと頑張ろう!って思わせてもらった。

— 物凄い感動体験ですね。

本当にそう。人生変えちゃったくらいの。そこから10年くらい同じメンバーでP-heavyをやり続けて…。とにかく全部楽しんでやってた。自然にできる人とのつながりとか、当時はそういうものがすごく面白かったな。

PARTY information! 2015 - August