vol.4 Chifumi Fujisawa
vol.4 Chifumi Fujisawa
コーナー初の前編・後編でお送りしております、チフミさんのインタビュー。前編では、Riot Grrrlバンド・P-heavy結成までの自身の音楽の流れやスタイル出まくりな学生時代の遊び方などのお話を溢れんばかりの文字数でお届けしました。90’sの松本 / アメリカのmood漂うワード達に、その時代に青春を過ごしていなくともグッときた方も多いはず。未読の方はぜひ!今回の後編では、彼女が強く持っているフェミニズムという思想により注目。様々な社会運動が目立ってムーブメントを起こしている2015年の日本において、あらためて女性の権利について考えるきっかけになるかもしれません。このインタビューを読んで興味をもたれた方は、ぜひ彼女の関わるライブイベントにも遊びに行ってみてくださいね!
インタビュー by ヨシザキマナミ タイトル文字©フルショウカザホ
新宿3丁目にあるアナーキストのインフォショップIRREGULAR RHYTHM ASYLUM(イレギュラー・リズム・アサイラム、以下IRA)が発行していたPUNK ZINEEXPANSION OF LIFEの第13号(2004年11月発行)。巻頭のINTERNATIONAL WOMEN’S DAY 2004報告のページの次に、チフミさんのバンドP-heavyと盟友バンドであったN16のインタビューが掲載されています。
このZINEの制作者と知り合ったきっかけは、P-heavyでライブをやってるうちに外国人がよく遊びにきてくれるようになった、その一人のKeishaがNY出身でEVOLUTIONARY GIRLS CLUB(エボリューショナリーガールズクラブ)という女の子のフェミニズムを主体としたビジュアルアートのチームに所属してたの。その展示とショーを日本でやりたいって言うので、じゃあバンドとコラボしてやろうかって話していて。丁度同じ時期に、地元のアナーキストの人達からも「ライオットガール・ムーブメントの先導者であるバンドBIKINI KILLの前座もやったメンバーが在籍するThe HAPPENINGってバンドを呼びたいから対バンしてほしい」って話があったの。どちらも日にちが近かったし、フェミニズムなど思想も共感しあえる部分があると思ったから皆で一緒にやったらどうかな?って企画して、ピカデリーホール前の公民館を借りてイベントを開催しました。P-heavyはそこで初めてアナーキストパンクの人達と一緒に共同企画をしたの。その時にDIYパンクやハードコアのレコードやZINEを持ってきてくれたのがこのZINEを作っていたカスミちゃんで、のちにこの号でインタビューしてもらったんだ。
イベントは、コンセプトがフェミニズムアートだったのに近所の人も沢山遊びに来てくれて、パンクの人達も皆「松本面白い~!」って喜んでくれた。わたしたちのやり方をみて、こういう外に開けた感じでも面白いんだっていうのが伝わったみたい。ジャンルは違っても共感できるところはすごくあったし、意見交換もしてました。
このインフォショップは今でもあるよ。世界中のアナーキストがIRAめがけてくるの。活動家、アクティビストに限らずパンクスや様々なオルタナティブな活動に興味がある人が日本に来る時に情報を求めて必ず立ち寄る場所なんです。
ー この“カマン”というコーナーは、チフミさんが教えてくれたフェミニズムの思想の上にたってる、というか乗っかってるみたいな感じで。女の人に注目していこう、というのは、実はそこから始まっているんです。
フェミニズムについて常に意識して考えて生きているって、やっぱりすごく葛藤があるんだよね。否定されることもあるし、でも自分で確認して「やっぱり!」って思ったり。めちゃめちゃ戦って疲れてた時期もあるけど、今は本当にまっさら。思想をぶちこわした状態だけど、そんな時期も必要かなって。基本的には「女の子はなにをやってもいいしなんでもできる!」って思う。そういう思想との出会いで、知ったというよりは確かめたという感じ。
私のお母さんが寿司職人なの。昔は今よりもっと男性の仕事とされていた職業だったから、お客さんでもおもしろがってくる人、つっかかってくる人、色々いた。「なんで女の人だからって弱く見えるんだろう?」「なんで色々言われるの?認められないの?」って子供のときからずっと社会にそういう疑問があって。それで、「男の人はこうだ、女の人はこうだ」っていう拘束された考え方からどうしたら抜け出せるのかな?って思ってた。
でもそんな時にライオットガール達が「今、女の型に革命を!」と声をあげていて、男とか女とか関係なく本当にいい音楽をやっている素晴らしいバンドが世に出てきたりして、すごく希望を持てたというか、救われたと思ったの。
最初はフェミニストっていう言葉に抵抗があったんだけど、The Crabs(P-heavy結成のきっかけとなったバンド)のジョンが「僕はフェミニストだよ」と言ったの。それで、胸はって女性や自分自身を認めたり、声をあげてもいいんだなって確認できたっていうか。自分と同じように、女性の権利に対してフラストレーションを抱えている人が男女問わず世界中にいるんだって知って安心した。男性のフェミニストに初めて会ってやっと、問題は女性のものだけではないと気がついて、みんなと協力し合えてからこそ解決すると気付いた。笑
ー 先に経験して感じていて、言葉が入ってきて安心したんですね。
それを教えてくれたのが90’sのアメリカから出て来たRiot Grrrlのバンド。日本ではそういうバンドがあまり居なかったから。人権問題、性差別…全部ひっくるめた沢山の社会問題に対して女の子たちが音楽を通して力をもって声をあげられるようになった。それに賛同する若者たちが沢山いて、Riot Grrrlのムーブメントが起きたの。うらやましかったな。
私達がThe Crabsのライブを初めて観た時の感動と一緒で、P-heavyのライブを観て「下手でも、可愛さを売りにしなくても、わたしにも何かできるかも!」って女の子たちが思ってくれたらすごく嬉しいなって考えてた。たとえ音楽じゃなくても、何やってもいいんだ!って思ってくれたらいいなって。
やってても苦しいときもあったよ、意味あるのかな?とかって。ただ単純に繋がれて面白いから、好きなバンドの前座できるからとか、そういうのが楽しくて続けてたけど。22歳から~32歳位の10年間はとにかくバンド漬け。アメリカのバンドがとにかく来松しまくってて、CRAZY RHYTHMには毎回のようにOGRE YOU ASSHOLEと共に出させてもらってた。
ー バンド活動で強く思い出に残ってる出来事ってありますか?
一番はP-heavy初の海外公演。結成10年目、2008年の韓国でのライブ。メンバーのマサコが結婚したりして、そろそろバンドやめようって決めてた時期に、IRAで私達のCDを買って聴いてくれたパクさんってソウルのオーガナイザーが韓国に呼びたいと連絡くれたの。嬉しかったよ~。バンド休止前の集大成として「経験をしたいから韓国いってみようよ」って事になり、P-heavyのリミックスアルバムを作ってくれたsmooth3(現THE LOST CLUB)の山口君もDJとして一緒に韓国へ向かいました。
当時は韓国のインディーシーンが根付く前で、パク君が一生懸命やろうとしてたとき。彼の企画ではP-heavyが初めての日本人バンドだった。不安はあるだろうけどやってみようよ!ってパク君を励ましながら…。笑 弘大(ボンデ)地区のサムジーというライブハウスで、対バンは今では日本でもすごく人気のある韓国のバンドたち。
いざライブが始まったら、パク君が「沢山人がくる!」ってビックリしてたくらい。お客さんが10、20人くらい来れば良かった頃のシーンで、なんと100人以上きてめっちゃ盛り上がったの。P-heavy史上の中でも一番くらいの集客、伝説のライブだった。奇跡が起きたの。女の子が最前列にワアーっときて、韓国の女の子たちに「わたしも音楽やってて…」とかって話しかけられて。長年女の子のそういうのが聞きたかったの、その夢が韓国で叶った瞬間だった!
韓国って歴史上、日本との関係がよくなかったからもちろん不安はあったよ。わたしたちが行く10年前とかは日本の音楽を聴いちゃいけなかった国。受け入れてもらえるかな?ってすごく賭けだったの。
もしかしたら日本人ってことで反感を買うかもしれない、しかも女の子じゃん。韓国ではインディーミュージック的な文化がメインとしてあまりないときだったから、ドキドキしてて…でもいざライブをやったらめちゃめちゃ凄い反響があってビックリした。パク君たちのソウルのシーンにとっても、日本から行った私達にとっても衝撃的な出来事だったね。
そのライブ以降、韓国とすごくつながりができた。そこからパク君は日本人のバンドを沢山呼ぶようになって、今では知らない人はいないくらいの名オーガナイザー。今でもお互いサポートしあっていて。パク君は10月にギブミーに来るよ、韓国のミュージシャンを連れてくるよ。Sweet Dreamsっていつも一緒に企画してるレーベルがあって、そこが出してる本に韓国ツアー日記を書いてある。ミュージシャンのツアー日記が沢山で面白いので、読んでみてください。
もうバンド活動やめるって決めた後のソウルでのライブだったけど、凄い体験だったな。ライブのあと、ホテルでメンバーの3人で話していて、改めて「バンドやっててよかったね」って言ったらドアをノックするトントン、って音がしたの。「これ天使じゃない?」って。天使が通るときって音がするっていうでしょ?ドアの外には誰もいなかったんだけど、3人ともその音を聴いたから、「ああ天使だね」って。
ー それが皆しっくりきて理解できるくらいの出来事だったんですね。
結果がわかりやすく現実化したっていうかね。長年バンドやってて悩むときもあったけど、韓国でやったたった1日のライブで「私達これだけやってきたじゃん!」っていうのを見せてもらった。まさかの韓国の地で、それを実現してもらったの。
ー チフミさんは着実な、ブレない自信がありますよね。それはやっぱり人脈だったり蓄えたスキルだったり…経験ですよね。
そう。コミュニケーションをとりたいから、アメリカの音楽事情を知りたいから、英語を話せるようになって。話せるようになったらアーティスト達のケアができるようになって、ライブやって、うち泊まって、寿司食べて、見送るところまでやって。いつもくたくただったけど、好きなミュージシャンばかりだったから楽しかったな。あと2010年に、DOMMUNEで大好きなスリーターキニーのVo.コリンタッカーと対談したのも思い出。
ライオットガール20周年の番組で、それについて日本で話せる人ってことで呼ばれたの。全部がやっぱり一人じゃできないこと。出会いや人とのつながりを大切にしてるから、続けれていることだし。自分も信じて人を信じることって中々難しいけど、何度も学ばされるわけじゃん。何度もお試しがきて。その中で、自分はブレないところがあったりとか、やっぱり信じよう!ってとこに戻れたりね。
ー 導かれてますね。
出会う人、キーパーソンが沢山いるんだけど、不思議なことにその人達が忘れた頃に何度もでてきて。日本人だけじゃないし、そういう人達が世界中を移動してるんだけど、ここ!って時には必ずいるんだよね。10年以上前に出会ったあの人が、こういうことの為にいてくれたんだな~とか。バンドを通して様々なことにトライしたことはものすごい価値があった。はじまりなんだと思うし、やり方は時代が変わってきてるからいろいろあるんだと思うの。でもまた何年後かに、「あの時こうだったから導かれたんだね」ってことが起こるのはわかってる。