vol.5

marsmoo too vol.5 2015 AUGUST(に出したかったSEP号、目指せ月末発行)

“marsmoo summer is finish”
BEYOND COMMON
••• BEYOND COMMON
ROOTS OF GURAGURA 2015.9.13SUN
祭りのあと
marsmoo今月の風景
「よもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎ」
••• ハピの屋根裏コラム
Vol.5パイ投げ大会やりたい人募集!
••• しのぶの世界
レッツゴー新聞 第52号(昭和60年8月15日)
••• レッツゴー新聞
夏の終わり 降旗祐輔
ぷんぷんからのLINE
Rêve de Pierre「ピエールの夢」
秋って口紅を変えたくなりませんか。
••• ezure chan
HARUレポ
ブライアンのそこがいいんじゃないの?!日本女子!
さて
第一回けんちゃんと遊ぼう
オビの帯 - みんな大好きエルボールームおすすめ3品!
••• オビの帯
Angel - Kai Hirose
••• Kai Hirose
雑コラ
さしINFO
vol.4 Chifumi Fujisawa
••• COME ON !
PARTY information! 2015 - September

“marsmoo summer is finish”

“marsmoo summer is finish”

いつにも増して滞在客が多かったマーズモーの8月。
バイクで日本を回っていたフィンランド人の大学生、
演劇をしにやってきた鹿児島の男の子…
恒例の筑摩花火とBBQもあった。皆で毎日遊んでいるうちに、
あっという間に終わってしまった。
楽しかったなぁ、バイバイマーズモーの夏2K15。

さて、今回のmarsmoo tooは記念すべき5号目。うれしい!
寄稿・協力してくれている皆さんのおかげで続けられていることに感謝しつつ、
今後も「ま〜ず・もう!」な感じでやっていきたいと思います。
目指せ月末発行。

Rip summer Hello autumn.
ご覧のとおり文字数多めな今号。読書の秋にぴったりだね!
という事で、ぜひ秋の夜長にじっくり読み込んでみてください。

BEYOND COMMON

ROOTS OF GURAGURA 2015.9.13SUN

祭りのあと

marsmoo今月の風景

ハピの屋根裏コラム

「よもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎ」

「よもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎよもぎ」

ヨモギって10回言ってると、私は「代々木」が出てきますが皆さんはどうでしょうか。
この夏、ハーブ園を作りたいと意気込んでみたのですが、なかなかやる気スイッチが見つからず、その辺で拾ってきたよもぎをタバコにしたりしてるのが現状です。ごきげんよう。
夏というやつは、やはりどうにも暑かったですね。なんでこんなに苦しめるのかと憎しみさえ抱きそうになるほどでしたが、気がつくと暑さも落ち着き、いまや秋の気配さえしています。あんなに憎たらしい暑さもいざどこかへ行ってしまうと何だか寂しいものです。
8月はなかなか目まぐるしく、私にしては祭り多めなパーティーマンスでした。「暑い、うまい、楽しい」の3拍子だけでなんとか乗り切れたのではないかと思っています。
とりわけ、夏のマーズモースティに来たボーイズとのワチャワチャが思い出深いです。ちょっと紹介を。
1人はヤッコ。フィンランド人の24歳。筑摩の花火大会の時にふらっと迷い込んだのをキッカケにマーズモー部屋に泊まりながら松本をえらく楽しんでいきました。たいそうビールが好きで髪の毛もキレイなビール色でした。それと、仕草がいちいち格好いいのが印象的でした。
もう1人はセイヤくん。鹿児島出身の25歳。演劇をやっていて、全国をまわったりしているようです。今回はpadge企画のイベントに出るということで8日くらい泊まっていきました。彼はとにかく行動力の鬼で、松本のキーポイントはだいたい見に行っていました。とりあえず彼の演劇は素晴らしかった。よく一緒にご飯を食べたりして、ハイタッチとかができるくらいには仲良くなりました。
年上が多めなマーズモー界隈なので、同年代がこうも連続して来るのはなかなか珍しく、なんだかソワソワしながら寝たり起きたりしてました。天ぷら作ったり、カレーパーティーしたり。
そんなに長いこと滞在したわけでもないのに随分一緒にいるみたいに錯覚する現象が起こったりするのがマーズモーステイです。そして、同時に別れの辛さも3割増し。でもまたきっと会えるので、とりあえずの解散ということにして3割減。プラマイゼロのナイスなバランスというわけです。
うーん。2人とも、良き日々をありがとう!
嗚呼。
たくさん手に入れた夏の思い出をチューイングガムみたくずっとクチャクチャしていたい。膨らませたりして遊びながら味がなくなるまで噛み噛みしたい。
しかし、のんびりしていると秋がすぐに終わってしまうのが松本らしさですね。
特に趣味とかも少ないので季節くらいは楽しんでいきたいなと思う今日この頃なのです。
とりあえずハーブ園の作業をせっせとやらなければ!!
アディオス。

しのぶの世界

Vol.5パイ投げ大会やりたい人募集!

Vol.5パイ投げ大会やりたい人募集!

松本駅前に店を出して、早5年。初年度から東北大震災による打撃をうけるなど、波乱晩鐘の5年だったけど、ようやく事業として落ち着いてきた今日この頃。
ここまでは、あの大所帯を維持するだけで精一杯、当初考えてやろうとしたことの3割もやってこれなかったかな。
ということで、いろいろ一段落した今、初心にもどってやりたい事をやって行こうと思っています。
やりたかったことって何だろうって考えると、とにかく面白いスペースを造ること。
一番得意な音楽、サウンドを中心として、そこに行けばなにか面白い事が待っている。いろんなカルチャーが入り交じって、面白い人達が集まってくる。情報の発信場所。そんな場所にすべく、いろいろ仕掛けていきます。ついては、協力してくれる人大募集!協力っていうより、一緒に楽しいこと造ってくれる人達かな。
”あんな事やりたい、実現したらいいな”みたいなアイディア、それを一緒に企画してくれる人、オーガナイズしてくれる人、イベント運営に参加してくれるスタッフ。とにかく面白い事考えている人大募集です。
一人では実現困難かなって思えることでも、一緒にやれば、実現可能にする場所、ノウハウ、人脈は用意できます。
とにかく面白い内容で、人が集まれば、お金を産むことはこちらで考えます。
GNU、GNU2nd、Mole Hall という場所はまだまだ面白くなる可能性を秘めているので、是非有効利用してもらいたいとおもいます。
参加希望の人は、直接でもいいし、SNSを通じて、もしくはモールホールHPから問い合わせフォームで連絡ください。

レッツゴー新聞

レッツゴー新聞 第52号(昭和60年8月15日)

TheFUkazawas

ここは松本市中央1丁目。

深澤家が毎週金曜に発行する「レッツゴー新聞」
それぞれの日々をつづる、第46号(昭和60年7月5日)

1984年 「できるかな」大好きの妹が突然「新聞を出す!」と言った。やさしい家族はみなそれに付き合って、「レッツゴー新聞」(A2サイズ)が創刊された。それは、駅から徒歩1分、来客が多い深澤家の居間、一番目立つ場所に貼られた。元祖スパルタ鬼嫁だった母の「続けなくては意味が無い!」という強く固い意志によって、「レッツゴー新聞」は家族それぞれの心情、葛藤すべてだだ漏れのままに、1989年235号まで、毎週金曜に発行され続けた。

妹 7歳/兄 14歳/姉 17歳 
母 43歳/父 46歳/ババ 69歳/ゴー(猫)?歳

夏の終わり 降旗祐輔

ぷんぷんからのLINE

Rêve de Pierre「ピエールの夢」

秋って口紅を変えたくなりませんか。

HARUレポ

ブライアンのそこがいいんじゃないの?!日本女子!

日本女子に朗報!海外の女子は日本女性の頬骨の高さに憧れているらしい。
最近、英会話の勉強したいな〜とふわりと思いまして。でも英会話教室に通うのも大変だし、家でできないかな。じゃあ、外人の友達作っちゃえと。日本語を勉強したい外国人を探して、お互いに教え合うと。そんなこんなでお友達になったペンパルのブライアン。
彼と毎日LINEで世間話をしているわけですが、そんな中、彼がよく力説している「日本の女の子は世界で一番かわいい!」説。(彼は上戸彩のファンです 笑)
多くの外国人が日本人・韓国人・中国人の区別がつかない中、ブライアンはわかるんだとか。。。その違いが、この頬骨の高さ。私の写真で一生懸命説明しようとしてくれているが、この写真じゃわかりにくいよ!とのこと(笑)。要は、高い頬骨を持つアンジェリーナジョリーみたいな顔が白人から見てパーフェクトな顔であり、その高い頬骨を日本人はだいたい持っているんだと。「高い頬骨=セクシーな顔」となるらしい。白人の女の子は日本人の女の子に対して本当にシェラシーを感じていて、メイクでなんとか同じように見せようとしているんだって。なるほど!日本だと頬骨いやで整形したりする人いるけど、とんでもない話なんだね!勉強になりました:)

さて

さて 前田斜め

 さて、鹿児島の実家に帰ってきました。実家に帰ったらカレーを作って進ぜようと具材を買って帰ったらおかんがカレーを作って待っていました。無駄テレパシー。
こうコラム的にうだうだ書き進めるのもありだがどうかしら、何書こうかしらと考える。
それなりに地味に役に立つ情報を、とのことだったのでわたしなりに知っている範囲のことで松本以外の場所からお役立ち情報掲載できればそれなりにいいかも、と思ったので自分なりの夢フィルター交えて書いてみます。
松本以外の情報でと思った矢先、記憶に新しいので松本きっての甘味処「塩川喫茶部」の話。
 場所は松本城から東にチャリで走っていったところにありました。
 見るからにまじめそうな店のたたずまいに甘味のみで勝負にでる店主の親父さんの生き様を感じたのでさして腹は減っていなかったが入店きめこんだ。入ると簡素な机と椅子の配列とあんみつを肴に談笑する近所の住民らしきおばちゃん2人組。僕が幼い頃でもこんなお店はそう無かったけれどきっと祖父くらいの歳の人が幼かった頃はこんなお店がいっぱいあったんだろうなぁ、と平成生まれにありがちなDNAレベルでの疑似懐かしみを覚える。
 僕はクリームぜんざいを注文しました。あんこの上にポテンとアイスクリームが乗っているのみ、黒と白のコントラスト、きんぐおぶシンプルな佇まいに心打たれた。
店を切り盛りするのは短髪で小柄なおばちゃんであくせくと店の中を行き来している。お店の中は清潔が保たれているし使い古された食器や盆には甘味にかける愛情がぴゅんぴゅん伝わってまいりました。おばちゃん店内の温度管理もしっかり行き届いておりお客が出入りした後はその入り口の引き戸を少しだけ開ける。ほんの15センチ程度。なるほどアイスクリーム等の甘味を扱っているだけのことあってか店内を常にベストの状態で保つその些細なお心づかい、感動した!握手!
 うーんきっとあれだろうなあ、旦那の親父さんがいた頃にむりくり店先に立たされてあんこの鮮度管理やお店の切り盛りをいやいや手伝わされ、なんだってわたしがこんな甘味なんぞに身も心もささげてくる日もくる日も街の人の血糖値上げなきゃならないんだいとかってぶつくさ文句言いながらやってきたんだろうなあ。それでそんな親父さんも倒れてしまって、どうしようかこれを機に店たたんじまおうかなんて息子娘と相談してたらいつの間にか自分の心に正直になれていないことに気がついて、違うおっ母さん甘味処やりたいんだ。お父つぁんに文句いいながらそれでも店に立つことがおっ母さん実はずっと楽しかったんだ、あたし止めたらいかん、このままぶつくさ言いながら最後まで文句いいながら店続けんだ、それであの世でお父つぁんに会ったときには胸はってぶつくさ文句言ってやるんだ。あたしあんたの店守ったったんよ、あんた先逝ってしまってからもあたしあの店守ったったんよと胸はって文句言ってやるんだ。それまでこの店は誰にも潰させんでわたしが守ったる。
 店の奥から漂う熱せられたあんこのいい匂いについうつらうつらとなり、そんなことを考えながらしばし眠りにはいってしまいました。夏も終わるころの松本の夕暮れ。
はたと目を覚ましていかんいかん長居しちゃいられないとお愛想を頼みに席を立つとそこにはまぎれもない親父さんの姿があったのでした。なぁんだおやっさんご存命あそばせたのね。よかったそいつはなによりでい。
おういお勘定。とおかみさんを呼ぶおやっさんの顔にはまだはりがあり、はあい。と奥から小走りに出てきたおかみさんの顔には深く刻み込まれた笑顔がありました。
 塩川喫茶部。小学校の頃にこんなお店があったら毎日無駄に通って無駄に遊んで話し聞いてもらって、そんで思春期の頃に恥ずかしくなって通わなくなっちまって、それでもふと近くを通るとまだやってるのかと気になって久しぶりに行ってみるとあの頃と変わらぬ2人の笑顔が待っていてくれるんだろうな、などと勝手に想像して腹もあたまもぽやんぽやんに甘くなってきたところで店を出ました。引き戸は少しだけ、15センチ程開けたまんまにしておきました。

第一回けんちゃんと遊ぼう

オビの帯 - みんな大好きエルボールームおすすめ3品!

Angel - Kai Hirose

雑コラ

さしINFO

COME ON !

vol.4 Chifumi Fujisawa

vol.4 Chifumi Fujisawa

コーナー初の前編・後編でお送りしております、チフミさんのインタビュー。前編では、Riot Grrrlバンド・P-heavy結成までの自身の音楽の流れやスタイル出まくりな学生時代の遊び方などのお話を溢れんばかりの文字数でお届けしました。90’sの松本 / アメリカのmood漂うワード達に、その時代に青春を過ごしていなくともグッときた方も多いはず。未読の方はぜひ!今回の後編では、彼女が強く持っているフェミニズムという思想により注目。様々な社会運動が目立ってムーブメントを起こしている2015年の日本において、あらためて女性の権利について考えるきっかけになるかもしれません。このインタビューを読んで興味をもたれた方は、ぜひ彼女の関わるライブイベントにも遊びに行ってみてくださいね!

インタビュー by ヨシザキマナミ タイトル文字©フルショウカザホ

新宿3丁目にあるアナーキストのインフォショップIRREGULAR RHYTHM ASYLUM(イレギュラー・リズム・アサイラム、以下IRA)が発行していたPUNK ZINEEXPANSION OF LIFEの第13号(2004年11月発行)。巻頭のINTERNATIONAL WOMEN’S DAY 2004報告のページの次に、チフミさんのバンドP-heavyと盟友バンドであったN16のインタビューが掲載されています。

このZINEの制作者と知り合ったきっかけは、P-heavyでライブをやってるうちに外国人がよく遊びにきてくれるようになった、その一人のKeishaがNY出身でEVOLUTIONARY GIRLS CLUB(エボリューショナリーガールズクラブ)という女の子のフェミニズムを主体としたビジュアルアートのチームに所属してたの。その展示とショーを日本でやりたいって言うので、じゃあバンドとコラボしてやろうかって話していて。丁度同じ時期に、地元のアナーキストの人達からも「ライオットガール・ムーブメントの先導者であるバンドBIKINI KILLの前座もやったメンバーが在籍するThe HAPPENINGってバンドを呼びたいから対バンしてほしい」って話があったの。どちらも日にちが近かったし、フェミニズムなど思想も共感しあえる部分があると思ったから皆で一緒にやったらどうかな?って企画して、ピカデリーホール前の公民館を借りてイベントを開催しました。P-heavyはそこで初めてアナーキストパンクの人達と一緒に共同企画をしたの。その時にDIYパンクやハードコアのレコードやZINEを持ってきてくれたのがこのZINEを作っていたカスミちゃんで、のちにこの号でインタビューしてもらったんだ。
イベントは、コンセプトがフェミニズムアートだったのに近所の人も沢山遊びに来てくれて、パンクの人達も皆「松本面白い~!」って喜んでくれた。わたしたちのやり方をみて、こういう外に開けた感じでも面白いんだっていうのが伝わったみたい。ジャンルは違っても共感できるところはすごくあったし、意見交換もしてました。
このインフォショップは今でもあるよ。世界中のアナーキストがIRAめがけてくるの。活動家、アクティビストに限らずパンクスや様々なオルタナティブな活動に興味がある人が日本に来る時に情報を求めて必ず立ち寄る場所なんです。

ー この“カマン”というコーナーは、チフミさんが教えてくれたフェミニズムの思想の上にたってる、というか乗っかってるみたいな感じで。女の人に注目していこう、というのは、実はそこから始まっているんです。

フェミニズムについて常に意識して考えて生きているって、やっぱりすごく葛藤があるんだよね。否定されることもあるし、でも自分で確認して「やっぱり!」って思ったり。めちゃめちゃ戦って疲れてた時期もあるけど、今は本当にまっさら。思想をぶちこわした状態だけど、そんな時期も必要かなって。基本的には「女の子はなにをやってもいいしなんでもできる!」って思う。そういう思想との出会いで、知ったというよりは確かめたという感じ。
私のお母さんが寿司職人なの。昔は今よりもっと男性の仕事とされていた職業だったから、お客さんでもおもしろがってくる人、つっかかってくる人、色々いた。「なんで女の人だからって弱く見えるんだろう?」「なんで色々言われるの?認められないの?」って子供のときからずっと社会にそういう疑問があって。それで、「男の人はこうだ、女の人はこうだ」っていう拘束された考え方からどうしたら抜け出せるのかな?って思ってた。
でもそんな時にライオットガール達が「今、女の型に革命を!」と声をあげていて、男とか女とか関係なく本当にいい音楽をやっている素晴らしいバンドが世に出てきたりして、すごく希望を持てたというか、救われたと思ったの。
最初はフェミニストっていう言葉に抵抗があったんだけど、The Crabs(P-heavy結成のきっかけとなったバンド)のジョンが「僕はフェミニストだよ」と言ったの。それで、胸はって女性や自分自身を認めたり、声をあげてもいいんだなって確認できたっていうか。自分と同じように、女性の権利に対してフラストレーションを抱えている人が男女問わず世界中にいるんだって知って安心した。男性のフェミニストに初めて会ってやっと、問題は女性のものだけではないと気がついて、みんなと協力し合えてからこそ解決すると気付いた。笑

ー 先に経験して感じていて、言葉が入ってきて安心したんですね。

それを教えてくれたのが90’sのアメリカから出て来たRiot Grrrlのバンド。日本ではそういうバンドがあまり居なかったから。人権問題、性差別…全部ひっくるめた沢山の社会問題に対して女の子たちが音楽を通して力をもって声をあげられるようになった。それに賛同する若者たちが沢山いて、Riot Grrrlのムーブメントが起きたの。うらやましかったな。
私達がThe Crabsのライブを初めて観た時の感動と一緒で、P-heavyのライブを観て「下手でも、可愛さを売りにしなくても、わたしにも何かできるかも!」って女の子たちが思ってくれたらすごく嬉しいなって考えてた。たとえ音楽じゃなくても、何やってもいいんだ!って思ってくれたらいいなって。
やってても苦しいときもあったよ、意味あるのかな?とかって。ただ単純に繋がれて面白いから、好きなバンドの前座できるからとか、そういうのが楽しくて続けてたけど。22歳から~32歳位の10年間はとにかくバンド漬け。アメリカのバンドがとにかく来松しまくってて、CRAZY RHYTHMには毎回のようにOGRE YOU ASSHOLEと共に出させてもらってた。

ー バンド活動で強く思い出に残ってる出来事ってありますか?

一番はP-heavy初の海外公演。結成10年目、2008年の韓国でのライブ。メンバーのマサコが結婚したりして、そろそろバンドやめようって決めてた時期に、IRAで私達のCDを買って聴いてくれたパクさんってソウルのオーガナイザーが韓国に呼びたいと連絡くれたの。嬉しかったよ~。バンド休止前の集大成として「経験をしたいから韓国いってみようよ」って事になり、P-heavyのリミックスアルバムを作ってくれたsmooth3(現THE LOST CLUB)の山口君もDJとして一緒に韓国へ向かいました。
当時は韓国のインディーシーンが根付く前で、パク君が一生懸命やろうとしてたとき。彼の企画ではP-heavyが初めての日本人バンドだった。不安はあるだろうけどやってみようよ!ってパク君を励ましながら…。笑 弘大(ボンデ)地区のサムジーというライブハウスで、対バンは今では日本でもすごく人気のある韓国のバンドたち。
いざライブが始まったら、パク君が「沢山人がくる!」ってビックリしてたくらい。お客さんが10、20人くらい来れば良かった頃のシーンで、なんと100人以上きてめっちゃ盛り上がったの。P-heavy史上の中でも一番くらいの集客、伝説のライブだった。奇跡が起きたの。女の子が最前列にワアーっときて、韓国の女の子たちに「わたしも音楽やってて…」とかって話しかけられて。長年女の子のそういうのが聞きたかったの、その夢が韓国で叶った瞬間だった!
韓国って歴史上、日本との関係がよくなかったからもちろん不安はあったよ。わたしたちが行く10年前とかは日本の音楽を聴いちゃいけなかった国。受け入れてもらえるかな?ってすごく賭けだったの。
もしかしたら日本人ってことで反感を買うかもしれない、しかも女の子じゃん。韓国ではインディーミュージック的な文化がメインとしてあまりないときだったから、ドキドキしてて…でもいざライブをやったらめちゃめちゃ凄い反響があってビックリした。パク君たちのソウルのシーンにとっても、日本から行った私達にとっても衝撃的な出来事だったね。
そのライブ以降、韓国とすごくつながりができた。そこからパク君は日本人のバンドを沢山呼ぶようになって、今では知らない人はいないくらいの名オーガナイザー。今でもお互いサポートしあっていて。パク君は10月にギブミーに来るよ、韓国のミュージシャンを連れてくるよ。Sweet Dreamsっていつも一緒に企画してるレーベルがあって、そこが出してる本に韓国ツアー日記を書いてある。ミュージシャンのツアー日記が沢山で面白いので、読んでみてください。
もうバンド活動やめるって決めた後のソウルでのライブだったけど、凄い体験だったな。ライブのあと、ホテルでメンバーの3人で話していて、改めて「バンドやっててよかったね」って言ったらドアをノックするトントン、って音がしたの。「これ天使じゃない?」って。天使が通るときって音がするっていうでしょ?ドアの外には誰もいなかったんだけど、3人ともその音を聴いたから、「ああ天使だね」って。

ー それが皆しっくりきて理解できるくらいの出来事だったんですね。

結果がわかりやすく現実化したっていうかね。長年バンドやってて悩むときもあったけど、韓国でやったたった1日のライブで「私達これだけやってきたじゃん!」っていうのを見せてもらった。まさかの韓国の地で、それを実現してもらったの。

ー チフミさんは着実な、ブレない自信がありますよね。それはやっぱり人脈だったり蓄えたスキルだったり…経験ですよね。

そう。コミュニケーションをとりたいから、アメリカの音楽事情を知りたいから、英語を話せるようになって。話せるようになったらアーティスト達のケアができるようになって、ライブやって、うち泊まって、寿司食べて、見送るところまでやって。いつもくたくただったけど、好きなミュージシャンばかりだったから楽しかったな。あと2010年に、DOMMUNEで大好きなスリーターキニーのVo.コリンタッカーと対談したのも思い出。
ライオットガール20周年の番組で、それについて日本で話せる人ってことで呼ばれたの。全部がやっぱり一人じゃできないこと。出会いや人とのつながりを大切にしてるから、続けれていることだし。自分も信じて人を信じることって中々難しいけど、何度も学ばされるわけじゃん。何度もお試しがきて。その中で、自分はブレないところがあったりとか、やっぱり信じよう!ってとこに戻れたりね。

ー 導かれてますね。

出会う人、キーパーソンが沢山いるんだけど、不思議なことにその人達が忘れた頃に何度もでてきて。日本人だけじゃないし、そういう人達が世界中を移動してるんだけど、ここ!って時には必ずいるんだよね。10年以上前に出会ったあの人が、こういうことの為にいてくれたんだな~とか。バンドを通して様々なことにトライしたことはものすごい価値があった。はじまりなんだと思うし、やり方は時代が変わってきてるからいろいろあるんだと思うの。でもまた何年後かに、「あの時こうだったから導かれたんだね」ってことが起こるのはわかってる。

PARTY information! 2015 - September